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ご縁を感じる一冊、ザ・シークレット

本はよく読む方だと思います。
一時帰国の時にどっさり買うので、スーツケース2個46キロまでオッケーなJALを使います。






リビングに置いてある小さな本棚に入るだけの量しか持ちたくないので、読み終わった本は処分か寄付。





繰り返し読む本は限られたものだけ。
その一冊が「The Seacret (ザ・シークレット)」







自分からは手を出さないジャンル、世間ではいわゆる「自己啓発系」とか「スピリチュアル系」と捉えられる分野の本です。

3theseacret2.jpg






この本との出会いは7年前、チャイルドケアの資格をどうにかこうにか取得して、あー、これから就職活動どうしよう?仕事見つかるんか?仕事が見つからなければ生活費払えないじゃん!という時でした。






親友アンナが、「これを読みなさい!」と強く強く勧められ、彼女のものを貸してもらいました。





一晩でいっきに読み、「これは、自分用を持たなければ!」と思い、すぐに紀伊国屋に走りました。







というのもですね、今まで大きな勘違いをしていたー!と、気づかされたのです。







これから読む方もいるかもしれないので、詳しくは書かないけど、





今までは、

いいことがある → 嬉しい、わくわくする、やった~!という気持ちになる


つまり、

願望達成 → 感情



っていうのが当たり前だと思ってました。








逆だったんです。



感情 → 願望達成が、この世の仕組みなんだとこの本は教えてくれます。




意味が分からない~!って方は一度読んでみてください。おもしろいようにいろんなことが上手くいくようになります。









先月、バリ島のホテルの庭に本が山積みになっていました。プールサイドで読もうかなと思って一冊お借りしようと思ったら、ここにもありました。

2theseacret in bali

Nesa Sanur Bali Hotelです。料金とロケーションだけで選んだ宿泊先に大好きな一冊がありました。






さすが世界的大ベストセラー。全世界2000万人が読んだと言われています。






ちなみに、この本の著者ロンダ・バーンはオーストラリア・メルボルン出身の女性です。



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「生まれる国は選べない。働く国は選んでやる」

1999年の日本語英語検定協会のキャッチコピーです。


「生まれる国は選べない。働く国は、選んでやる。」





このキャッチコピーをどこかの本屋で見かけたとき、私はまだ22~23歳で日本で保育士をしていました。

「働く国って選べるの???」「頭のいい人はできるかもなぁ」「お金持ちの家庭に生まれてたら可能かも」とか、まぁ、いろいろ考えて、結果、「私には関係のないことだ」と思っていました。





その時はすでに進学も就職も経験していたけど、実家を出ることもなく地元静岡ですべて済ませていたし、親元を離れて一人で暮らすなんて現実に起こるわけがない、できるわけがない。







でも、その2年後、両親に、「1年間、オーストラリアに行ってくる」と報告し、シドニーで生活を始めました。
2年間、なにも深刻に考えていたわけではなく、「気になるんだったらやってみよう」というわりと軽い決断でした。






そして今年の7月で在豪14年を迎えます。




あの時、偶然入った本屋で偶然目にしたキャッチコピーがなければ、海外で働こうなんて気はおきなかったかもしれません。 








英検協会が実施する英語検定は4級を持っています。(中学英語中級)
最初は英語力がなくたって、大丈夫。なんとかなります。


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あの時、機内で何が起きたか(長文) 

あまり大きなニュースにならなかったので、ご存じない方が多いかと思われる2年前の飛行機でのアクシデント。




2012年1月14日午後8時20分ごろ、成田を離陸した日本航空(JAL)のJL771便シドニー行き(乗客乗員260名)、777-200型のビジネスクラスで出火があり、安全確認のため同便は成田へ引き返しました。引き返した便は、成田の運用時間である午後11時を過ぎ、15日朝に再出発となりました。。。。。というのが報道された内容。




私はこのフライトの乗客でした。年末年始の一時帰国を終え、シドニーに戻るところでした。




離陸してまもなく、機内前方からなにやらどよめきが起きました。ビジネスクラスの座席から煙が出ていたのです。




そして、日本語と英語でのアナウンス。内容は「機内で火災が起きた。機械系統に異常が発生した恐れがあるからいったん成田に戻って整備をし直す」といったもの。




相次ぎ、次のアナウンスは「ガソリンが満タンだと着陸できないので、空中でガソリンを散布して機体を軽くしてから着陸します」とのこと。




詳しい時間は忘れましたが、1時間ほどでしょうか。千葉上空をくるくると旋回しながら、ガソリンを捨てているようでした。




さらに、「万が一に備えて、座席前方のポケットに入っている安全のしおりを今一度確認するよう」との指示があり、機内はさらに不安に満ちた雰囲気に。




私は中央の4列シートの右端に座っており、となりは観光客らしきおばさんの3人。その一人が手を組んでお祈りを始めてしまいました。気持ちはわかります。乗客はパイロットを信じて、成田に戻るしかないのです。




ビジネスマンらしきおじさんが、キャビンアテンダントのお姉さんに罵声をあげていました。みっともない。こういうときに人間性が現れるのだな、と他の乗客のみなさんも思ったのでは。




機体が揺れるたびに大騒ぎです。悲鳴に似たものも聞こえてきました。赤ちゃんは絶えず泣いています。大人たちの不安を感じていたのでしょう。




無事成田に着いたものの、整備が長引き23時を過ぎてしまいました。成田空港は23時を過ぎると、離陸ができないきまりだそうです。





「出国手続きをして、空港近辺のホテルに一泊、出発は翌日」というアナウンスが流れました。
私は予定が多少狂っても問題なかったのですが、出張や旅行の方からは「え~。。。」という残念な声があがりました。





出国手続きのカウンタースタッフは全員帰宅してしまった時間とのことで、スタッフが揃うまで機内で待機。そして、機内スタッフの指示に従いながら、出国手続きを済ませました。





地上スタッフの誘導のもと、ホテル行きのバスに乗り込みます。空港近くのホテル日航に案内されました。もうこの時点で夜中の12時を過ぎていたのですが、大型バスが次から次へと乗客をホテルに運びます。





ホテルのチェックインもすごい行列。私はこの行列に並んでいる時に初めてほっとした気分になりました。私の前に並んでいたオーストラリア人のおばさんと世間話をしながらチェックインの順番を待ちます。




機内食を食べ損ねた乗客のために、ホテルには豪華なバッフェディナーが用意されていました。この時、すでに夜中1時。こんなときこそ、ちゃんと食べなきゃ!と思い、実家の両親に電話で状況を説明したあと、ディナー会場へ。もりもり食べているのは、オーストラリア人と日本人の若者グループ、そして私ぐらいでした。ほとんどの乗客は張りつめていた気持ちがゆるんで、どっと疲れがでたのでしょう。




翌朝、空港で新たにチェックインをし、12時間遅れで成田を出発し、無事シドニーに到着しました。






と、まぁ、こんな出来事が2年前にありました。


「落ちたら死ぬのかな」ってことを始めて現実のものとして考え、「人生は一回限り」ってことも強く実感しました。





それからというもの、、、、、


行きたいところには「そのうち」じゃなくて、「今」行く。(一人で海外をうろちょろしだしたのもこの出来事以降)


食べたいものは我慢しないで好きなだけ食べる。


ゲームや読書がおもしろくなったら、明日のことは気にせず好きなだけ集中。


などなど。





決してJALの回し者ではありませんが、



「あの時は怖かったなぁ」という記憶と感想しか持ち合わせていませんでしたが、今はJALのパイロットの適格な判断、キャビンアテンダントの冷静な対応、地上スタッフの深夜にもかかわらず思いやりのあるカスタマーサービスに感謝することができるようになりました。





最後に、




マレーシア航空370便の乗客乗員のみなさまのご冥福をお祈り申し上げます。




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ご縁があれば音信不通でも大丈夫

2001年、ワーキングホリデービザでシドニーに到着。




当時はコラロイというシドニー北部ののんびりした街でホームステイをしていました。
そこには私のほかにもう一人日本人女性が滞在していて、彼女が私のオーストラリアでできた初めての友達でした。




英語も話せず、それほど目的意識もなく、資金も心細いなかでの渡豪だったので、「同じ日本語を話す日本人がいる」っていうのはとても心強く、彼女がいなかったらどうなってたことでしょう。





一足早くワーホリを始めていた彼女にいろいろとアドバイスをもらい、(チアーズや日豪プレスを教えてもらったのも彼女からだったなぁ)、毎日励まされ、どーにかこーにかオーストラリア生活をスタート。





ホストファミリーとコミュニケーションがうまくいかない時もしょっちゅう助けてもらっていたので、彼女のホームステイが終わって引っ越しをする時に初めて「一人でやってかなきゃ!」という覚悟を無理やりしたのはよく覚えています。




2人ともオーストラリアでワーホリ生活しているときは連絡を取り合っていましたが、彼女は帰国、私は学生ビザで滞在延長をしてからは、お互いの忙しさや環境の変化がそうさせたのか、だんだんとメールの数も減ってゆき、ここ10年は音信不通となっていたのです。




先日、メールをチェックしたら懐かしい彼女からの連絡が。




もうね、懐かしいって言葉じゃ表現できないほど嬉しくて、いっきにワーホリ時代にタイムスリップした気分になりました。彼女の近況報告を読み、早く会ってこの10年の報告をしたい!という衝動にかられ、6月のスクールホリデーは日本に必ず帰ろうと決意。




そこからほぼ毎日メールで連絡を取り合うようになりました。
私も彼女も昔から結婚願望がなくお互いいまだ独身。類は友を呼びます (笑)




いくら音信不通になったからって、ご縁がある人とは必ず再会するようになっているのがこの世のシステムなのかもしれません。




12年前、彼女と出会えたことで安心してオーストラリア生活をスタートできたことに感謝。
オーストラリアで初めての友達があなたで本当によかった。



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10年後の約束 ~夢を叶えた3人のお話~ 【後編】 

haneda.jpg

読んでいない方はよろしければ【前編】からどうぞ。
10年後の約束 ~夢を叶えた3人のお話~ 【前編】


「10年後またみんなで会おう」と約束をしてから、まだ10年に2か月満たない2011年12月17日。私は香港行きのチケットとともに羽田空港にいました。(12月は一時帰国中のため日本からのフライト)


過去10年間をふりかえり感傷的な気分になることも、ドラマティックな気分になることもなく飛行機に乗り込みました。約束した時点で、3人の中でそれは夢でも目標でもなく、単なる予定となっていました。


全員の学生ビザ期限が切れ、それぞれの国に帰ってからもメールやチャット、Facebook、スカイプで常に連絡をとり、近況報告は欠かしませんでした。もうね、距離なんて関係ないんです。便利な世の中に感謝。



そして、パトリックは航空会社勤務、アルシンドは貿易関連業の自営の夢を数年前に叶え、私は2010年に幼稚園勤務がスタートしました。夢や目標を口に出し、期限を決め、励まし合う仲間がいれば、実力以上のことができるんです。


香港空港に到着しました。私が一番のりです。
hongkong.jpg


2人とも時々シドニーに遊びにきていましたが、それでも数年ぶりの再会。
カフェで一休みしつつ、鏡をチェック。
「私、老けたよな~。老けたって思われるよな~」
心配しても仕方のないことが心配になってきました。


アルシンドのフライト到着時刻がせまってきたのでゲートへ移動。
15分後、黒髪のやせっぽっちなアジア人が近づいてきました。


。。。。黒髪になったアルシンドだ。
再会のハグもなく、いきなり会話にはいるアルシンド。
「香港空港、入国審査混み過ぎ。あー、はらへった、そこの味せんラーメンでも食うわ」と、到着ロビーにあるラーメン屋を目指そうとする。よかった、ぜんぜん変わってない。


いやいや、パトリックももうすぐ到着だから待ってようよ。と、少し大人になったふくちゃん。
10年前だったら、「おう、ラーメンでも食おう」と言っていたでしょう。


そしてパトリック到着。
あれ?あれ? 太ってる~?!
4泊5日の旅なのに、すごい荷物。まぁ、私より女子力の高いおかまちゃんだからかな。


「ふくちゃん、あの頃よりぜんぜん若く見えるよ」と2人から嘘っぽいほめことば。


思い出した。


この2人、人が気にしているだろうことを先回りして察知し、いつも褒めてくれる。
私の下手な英語も、美容院に行けなくてぼさぼさの髪も、目立つところにできた大きなニキビも、彼らはぜんぶ褒め言葉にかえてくれた。


香港の夜景を見て大騒ぎ
hongkong night view


ナイトマーケットの屋台で食べまくり
night market

二階建てバスで小旅行
2bus.jpg


ついでにマカオも行ってきた。
macau2.jpg


macau.jpg


昔話に花をさかせつつも、きちんと次の目標を語る2人。もうじゅうぶん頑張ったんだから、そろそろ自分を甘やかそう、と思っていた自分に甘い私は考え方を改めさせられた。



今ではパトリックは某航空会社で出世コースにのり、アルシンドはオーストラリア、中国を拠点にアジア諸国に取引先を拡大。



ふくちゃんは?



まだまだ試行錯誤の日々。
先生としては発展途上かもしれないけど、大好きなシドニーでおいしいもの食べながらどーにかこーにか暮してる。



この香港旅行をすっかり満喫した3人は7か月後の7月、ふくちゃんの誕生日祝いもかねて台湾で再度合流することになるのです。



台湾旅行のお話はいつかの更新で。


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プロフィール
2001年ワーキングホリデーでオーストラリア・シドニーへ。 留学代理店勤務を経験後、いろいろ思うところもありチャイルドケアの専門学校へ入学(当時32歳) クラスメイトに宿題や試験勉強を手伝ってもらい、他力本願で幼児教育の資格をなんとか取得。運良く現地の幼稚園に就職が決まり、てんやわんやの毎日を過ごす。趣味;ゲーム(龍が如くシリーズ)飛行機鑑賞 

ふくちゃん in Sydney

Author:ふくちゃん in Sydney

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